「君たちはどう生きるか」は今の時代への問いかけだった

雑感

「君たちはどう生きるか」という宮﨑駿さんのアニメーション映画。この表題は吉野源三郎さんの有名な小説から題名だけを借りたものになっている。しかし、テーマはまさにこの表題通りのものだった。映画の中に「君たちはどう生きるか」という本とイソップの童話の本が机の上から床に落ちるシーンがあり、小説「君たちはどう生きるか」の挿絵も含めて描かれていた。
本が床に落ちるシーンは、吉野さんに対する敬意とともに、この作品そのものが一つの寓話であるような印象を与えるものだった。

映画は2回見た。一度目は妻と、二度目は娘と。娘は小さい頃から音楽に親しんできたので、娘の中には音に対する蓄積があり、音楽は人生の伴奏者のような役割を果たしている。映画を見るとサウンドトラックが印象に残るので、あのシーンの音がという感想が自然と出てくる。耳で聞くと音が取れるみたいなところがあって、再現してくれたりする。
同じように映画を見ても、人は自分の蓄積を総動員して映画を見る。総合芸術である映画は、見た人に千差万別の印象を残す。映像に対する感じ方も同じで、娘は映画の冒頭に描かれている火事のシーンの炎の描き方が強く印象に残ったと言った。

宮崎さんの映画は、絵を描くという点で比類な力を持っている人なので、動画が言語のように作品世界の中で、見る人にいろいろなことが伝わるように描いている。ただし言語ではないので、わからない人には何も伝わらない。わかる人には強烈な印象を残す————そういう描き方をしている。それは宮崎さんの遊びなのかもしれないが、動画の中には、玩具箱のようにたくさんの物語が入っている。
作品自体の描き方も同じ。テーマも物語の終わり方も見た人に、見た後から始まる考察のようなものを残す。したがって簡単には見た人を作品から離さないようなものになっている。宿題を与えてくれるというか、考えてしまうというか、そういうものが宮崎さんの作品にはある。この点で「君たちはどう生きるか」は、謎だらけの作品として見る人に届けられたものになった。

謎を膨らませたのは、青鷺のモデルだと噂されている鈴木敏夫さんだ。この人は、ジブリのプロデューサーで、社長でもあった人だ。宮﨑駿さんと高畑勲に出会ったことによって、人生が徐々に大きく転換した人で、この人の存在なしにジブリは安定的に発展しなかったと言っていい。スタジオジブリの「必殺仕掛人」、それが鈴木敏夫さんだった。ただし必殺の「殺」は「札」だが。
鈴木さんは、今回の作品に対し、宣伝を一切しないという「宣伝」を行った。映画のために作ったのはポスター1枚。宮﨑駿さんが、映画を作っていることも、上映することも明らかにしないで、なんか宮﨑駿さんの映画が上映されているらしい。新作みたいや、というような伝わり方をした作品だった。しかも映画館に行って映画を見て、作品のパンフレットを買っても声優を務めた俳優が誰だったのかさえ明らかにしないという形にしていた。俳優の名前だけがエンドロールの中に出てきた時に、見た人の多くは「えっ」となってしまった。あの人、誰を演じたんやろ、こんな感じだった。

秋、10月27日にガイドブックが販売されたので、配役がようやく明らかになった。俳優が作品について多くのことを語っているガイドブックだが、肝心な作品世界の中から出てくるメッセージについては、見た人が自由に受け取ってほしいというトーンに見事に統一されている。このガイドブックを読んで、鈴木敏夫さんの宣伝に対するコンセプトは細部に宿っていることを再確認した。

そんな形なので、批評家の方々が作品について感じたことを書いているのを読むということになった。しかし今の時代、政治的な忖度が幅をきかせているので、批評家による社会的な考察がほとんど感じられなかった。世も末だなと思う。
宮﨑さんは、政治的な発言も率直になさる方で、今回は自分の父が軍需工場の経営者で、家庭は結構裕福だったことを描き、自分がどうして戦闘機や軍艦が好きなのかという背景を見せてくれた。同時に宮﨑さん自身は強く平和を求め続けてきた人であり、それは作品世界にも色濃く表れてきた人だった。そういう系譜を持った人が描いた「君たちはどう生きるか」は、やはり時代性と社会性を色濃く反映したものになっている。ぼくはそう感じた。

大叔父が、異界の中で世界を組み立ててきたが、崩壊しそうだといい、眞人に受け継いでほしいという気持ちを示すが上手くいかず、インコの国のインコ大王が積み木を積み直すと異界が崩壊するというシーンを描いている。インコ大王は、王政復古の象徴のようでもあった。
かの高野山では毎年、A級戦犯の汚名を雪ぐことを命題とした奉賛会が行われている。言われなき罪を背負って戦後があったのだという時代認識が受け入れられる土壌が広がっている。

眞人は、新しいお母さんを「お母さん」と呼べるようになり、弟も生まれる。戦後、希望に満ちたように見える日常を描いて、東京に引っ越しするところで映画は終わっている。ぼくは、このラストシーンとインコ大王が積み木を組んで異界が崩壊したシーンが重なって見えた。希望にあふれたはずの戦後が今、暗い未来を感じさせるような状況になっている。現実世界で、先のわからない時代を、自分の足で生きていくことを選択した眞人たちの未来はどうなっていくのか。
「君たちはどう生きるか」という表題は、ラストシーンに込めた宮崎さんの気持ちなのかも知れない。
映画の題名は、今の時代の中に置かれた言葉なのではないか。この問いかけが、若い人に届くだろうか。いったいどうなんだろうという気持ちになっている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明